健康の有難みを体調不良で実感。
どうでもいいことに悶々としていたのに、「そんなことどうでもいい!」と、心底思えて。 全神経が体調の回復に集中する。健康に対する不安は残るけど、自分の健康は自分の問題。
どうにもならないことへの悶々とした気持ちは、相手あってのことだけれども、自分の気持ちをどう持って行くか次第。
↑「相手は相手の気分で動いている。自分は相手の気分に翻弄されず、少しでも機嫌よくなれるように。」と、本やメルマガやYoutubeやらで何度も読んだり見たい聞いたり。その時は「そうだ!そうだ!」と納得。でも自分の気持ちは翻弄されっぱなしで、先の意気込みはどこへやら。ずっと堂々巡り。
体調不良になって、どうでもいいことへの悶々から解放されて。体調不良になって、どうでもいいことに気持ちが向かなくなったら、気づく。
「あれ、悶々としていようがいまいが、現状は変わらない。」
「現状が変わらないのであれば、悶々としていることって、①本当に時間の無駄②心を痛める(反心活)③脳にもダメージ(反脳活)④自分の大切な時間を「相手」に捧げている⑤自分の生活は「相手」次第で「相手」の思うまま⑥「相手」は飄々と。⑦自分の心も身体も「相手」の奴隷。等など。(④~⑦は「相手」を陰で喜ばせてない?)
↑これって、バカらしい。それなら、「相手」に振り回されず、機嫌よい自分に移行するよう努力(かなりの努力と意志が必要)したほうが、楽に生きられない?
しかーし、人間そう簡単に思考の癖は変えられず、また元気になってくると、またどうでもいいこと考えたり、悶々としたり。
進んでは戻っての繰り返しで、心活!だけど、少しは前進していると思いたい。
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